慰安婦(いあんふ)とは日中戦争や太平洋戦争当時に、 慰安所と呼ばれた施設で旧日本軍の軍人の性行為の相手になった婦女の総称である。戦後、人により従軍慰安婦とも呼ばれる。制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり、旧日本軍のケースでは慰安婦を強制連行したのか否か、強制的なものであったか等の点に疑問が呈されており、日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐって、今日まで、政治的・社会的に大きな議論を呼ぶ問題となっている。
当時の呼称
日中戦争や太平洋戦争当時、主に戦地に設置された「慰安所」と呼ばれた施設において、旧日本軍の軍人に対して数多くの婦女が売春に従事し、または従事させられていた。当時、これらの婦女を総称して、「慰安婦」という呼称が用いられていた。当時の文献によると、「慰安婦」という呼称のほかに「(料理店の店員を名目として)酌婦」「(慰安所)従業婦」「(慰安所)稼業婦」「醜業婦(売春婦)」などという呼称[1]が存在していた。また現地の軍人は、慰安婦のことを(売春婦の中国語の蔑称で)「ピー」、慰安所のことを「ピー屋」と呼んでいたとも言われている。[2][3]慰安所に限らないが「娘子軍(=からゆき=海外出稼ぎ娼婦)」という言い方も多い。また、海軍では「特要員」の名の下に戦地に送られたとも言われている。
慰安婦」か「従軍慰安婦」か
1980年代以降、旧日本軍が戦地の女性を慰安婦にするため、強制連行したという主張がなされ、社会問題となった当初は、千田夏光が自著の題名を自身の造語である『従軍慰安婦』(双葉社 1973年)としたことの影響もあり、「従軍慰安婦」と呼ばれることが多かった。しかし、“従軍”という言葉を巡り、「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また反対の立場においても、女性団体などから、「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされた[6]。そのため近年、マスメディアの報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになった。ただし、現在でも一部では「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例もある。
海外における呼称
韓国では、慰安婦問題が起こった当初から、「女子挺身隊」との混同から呼ばれてきた「挺身隊(???)」という呼称が一般に定着している。[7][[8],第12章 「七つの争点」]
慰安婦問題の代表的団体である「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「日本軍慰安婦」と呼んでいる。
英語圏では、「慰安婦」を直訳した”Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる”Sex Slave”[11]の用語が用いられることもある。
その他の呼称
慰安婦制度に批判的な者の中には、「慰安婦」という言葉は実態を反映していないとして、「日本軍性奴隷」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している者もいる。
総数
政府調査(1991年?1993年)では、慰安婦の総数を示した資料も、それを推認するに足りる資料もなかったので、総数を確定することは困難であるが、長期かつ広汎に慰安所が設置された数多くの慰安婦が存在したものと認められるとしている[[13], 「いわゆる従軍慰安婦問題について」内閣官房内閣外政審議室(平成5年8月4日)第二(4)]。 もっとも、国内海外を問わず、研究者によってその総数を推定する作業がなされており、様々な説が存する。主要なものとしては、中央大学教授吉見義明は、総数を8万人から20万人と推定したのに対し、日本大学教授秦郁彦は総数2万人程度と推定している。詳細は、以下の経緯を参照。
諸説
総数についての諸説
1969年、韓国の日刊紙が挺身隊動員を受けた女性が20万人、その内、朝鮮人が5?7万と報じる。
1973年1974年、千田夏光。慰安婦に関する著作の中で、慰安婦35人に対し朝鮮人は1人の比率で計算し、慰安婦8.4万人、朝鮮人が6.5万人と推計[8]。 他に韓国の資料が「挺身隊20万の内、5?7万が慰安婦とされている」ことに言及。(慰安婦と挺身隊との混同の始まりとされる。)
1976年、在日朝鮮人作家、金一勉 (キム・イルミョン)。業者が29:1が好ましい数字だと語っていたことから慰安婦17?20万人。内、8、9割が朝鮮人。[8]
1984年、元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)。朝鮮人挺身隊が20万人のうち、慰安婦が5?7万人 (1969年の報道記録からと見られるという)。(業者が貧しい娼婦に声をかけたり、顔役を通じてだまして慰安婦にしたという)。
1993年、「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星 (チョン・ジンソン)ソウル大学教授。「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」と書いており(独自根拠不明)[20]、詐欺を強制に含めている。
1993年、日本大学教授秦郁彦。50:1の比率から、6万、交代して9万。(のちに変更)
1995年?1990年代後半、中央大学教授吉見義明。上海で1939年、性病防止のために「陸軍は上から兵100人に1人の「慰安婦」と言われた」ことと、それに現地の軍が独自に(犯罪を含めて)集めた数を加えた数字の範囲で、29:1の比率(交代率2)から8?20万人と推定
(これらの説では当時の下級兵士の回想から、朝鮮人女性が多かったと見ている)
1999年、日本大学教授秦郁彦。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、コンドーム使用量、国内公娼の客と娼妓の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定している。[8](泰郁彦の計算は、狭義の慰安婦であり、民間の娼婦が別に数千人程度いたと想像している。また、在中国領事館のこの業種全体の統計から、朝鮮人は意外と少ないと見、また南方現地人、中国系の多さを指摘している。)
1996年、上海師範大学教授蘇智良(Su Zhiliang)。中国・天津の慰安所研究により、慰安婦の総計を40万人として朝鮮人20万人を引いて中国人と日本人が10万づつとしていた。(のち変更)
1998年、国連に提出の「マクドゥーガル報告書」の付属文書。20万人以上。朝鮮人14万人が死亡。→根拠
1999年?2003年、再度、上海師範大学教授蘇智良。総数36万?41万人、朝鮮人14万人[22]、強制連行されて慰安婦にされた中国人が20万人に及ぶとしている。[23]
2004年、アジア女性基金では、100:1が妥当な数字とし、マクドゥーガル文書における朝鮮人慰安婦の人数・死亡者数に根拠はないとしている。
2005年4月、北朝鮮の国連代表部金永好書記官がジュネーブの国連人権委員会で、慰安婦の数は20万人で、強制連行された人数は840万人だと主張。この頃の韓国の高等学校の教科書は慰安婦の数を「数十万人」と、「強制的に連れて行かれた」人々を「650万人」と教えている[24]。
慰安婦の総数を推定する上で、当時の朝鮮半島の人口、日本軍の総数等が参照される場合があるので、以下に参考として記述する。
あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ
全体: 陸軍は慰安施設を、1942年9月頃に400箇所(満州を除く)作ったとされる[25][26]。
当時の朝鮮半島の総人口は『朝鮮総督府統計年報 明治42-昭和15年度』によれば約2500万人前後であった。
日本の女子挺身隊の結成率は1944年5月では7%。:内地での公娼は、第二次上海事変以前の1937年の21万をピークに減少し、太平洋戦争初期の1942年には14.5万人になっている。中国(本土)に日本人娼婦約1.2万人の増加(1935年?1940年)(,p30,p48,p399)。
その他 [28]([8],p41)。
韓国政府に元慰安婦として登録されている女性は合計215人で、内88人が亡くなっている。(2005年1月現在