2009年06月16日

テンジャンの食べ方には、まず野菜にテンジャン

テンジャンの食べ方には、まず野菜にテンジャンを付けて食べる方法がある。この場合、テンジャンはソースあるいは薬味代わりに用いられる。野菜につける場合、一般的にはテンジャンにニンニク、ごま油、コチュジャンなどを混ぜて作ったサムジャン(「包み味噌」、辛味噌)を使うことも多い。たとえば白菜やサンチュでサムジャンを包んで食べたり、さらにご飯も一緒に包むこともある。サムギョプサルをサムジャンとともに野菜で包んで食べることも一般的である。

テンジャンは鍋や汁物にも多く用いられる。例えば豆腐、唐辛子、ズッキーニ、ネギ、キノコ、肉、貝などとともにチゲに入れてテンジャンチゲ(味噌鍋)にする場合がある。日本の味噌と違い、テンジャンは激しく煮立たせた状態で調理されるが、煮立てれば煮立てるほど風味が増すとされる。

テンジャンはフラボノイドのほかビタミン類、ミネラル類を豊富に含み、植物ホルモン(がん予防に効果があるとされる[1])も含む。韓国の伝統的な料理はテンジャンのほかは米と野菜が中心であるが、テンジャンは米などには欠けている必須アミノ酸の一種リシンが豊富に含まれており、栄養バランスをとる上で欠かせない食材であった。
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テンジャンには53%のリノール酸と8%のリノレン酸が含まれているが、これらは血管の成長に重要な役割を果たしており、テンジャンの摂取は血管に関係する病気の予防につながる。テンジャンチゲは日本の味噌汁とは異なり沸騰した状態で出されるが、テンジャンの栄養分は沸騰させても失われない[2]。

テンジャンやカンジャンが多く生産される淳昌郡は長寿の郷としても知られており、長寿の理由としてテンジャンが挙げられることもある

2009年05月30日

豊臣氏

豊臣氏(とよとみうじ/とよとみし、豐臣氏)は、「豊臣」の姓を下賜された氏族。

豊臣姓とは、天正時代に関白となって政権を掌握した羽柴秀吉に与えられた本姓である。

1585年(天正13年7月11日)、関白に任じられた羽柴秀吉は近衛前久の猶子となり藤原氏を名乗っていたが(関白相論)、前例のない他姓出身者の関白就任には多くの反発が予想された。そこで秀吉が多くの学識者から意見を聴取した結果、朝廷より源平藤橘(源氏・平氏・藤原氏・橘氏の総称)に匹敵する新姓を賜ることが公明正大であるという結論を得た。その結果、佳姓を撰んで豊臣の新姓使用を朝廷に奏聞し、1586年(天正14年9月9日)に勅許を得た[1]。
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これ以降、秀吉をはじめとする羽柴家の人物は自らの名乗りに専ら「豊臣」を使うようになり、いかなる名字も使用した形跡は無い。[2]この時代「豊臣」は本姓としても名字としても使われている。秀吉達の潜在的な名字が「羽柴」のままであったという見方は存在する[3]が、当時の紀伊国造家や津守氏のように本姓はあっても名字の存在しない家や、源義高流源氏のように姓と名字が同一の例も存在するなど、名字と本姓が必ず別であるという規則は無いこともあり、豊臣宗家の名字を断定することは出来ない。

「豊臣氏」は本姓であって、「織田」(本姓は平朝臣)や「徳川」(本姓は源朝臣)などといった名字とは性質が異なる。本姓による名乗りでは、姓と諱の間に氏への所属を意味する「の」を入れるのが原則的な読み方であり、[4]この原則に従うと「豊臣秀吉」は「とよとみ・の・ひでよし」と読むことになるが、この原則が当てはまらない事例も相当数ある。[5]
豊臣氏の人物の名前は「とよとみ・○○○○」と言った具合に「の」抜きで呼ばれることが一般的である。[6]

『豊臣』の由来ははっきりしておらず、「聖徳太子の名前「豊聡耳(とよとみみ)」から取られたという説などがあるものの、現在のところ定まった見解は無い。

2009年04月27日

塹壕(ざんごう, 英trench)

塹壕(ざんごう, 英trench)は、戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守る為に使う穴または溝である。野戦においては南北戦争から使用され始め、現代でも使用されている。日本陸軍では散兵壕と呼んだ。個人用の小さなものはタコツボとも呼ばれる。戦闘陣地の一つ。

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塹壕は、攻城戦においては火器の普及以降、攻城側が防御側からの射撃を避けるために利用されてきた。大砲の発達と築城術の向上で巨大な要塞が生まれ、それに対抗する攻城術も生まれた。17世紀後半の代表的な攻城術は次のようなものである。まず要塞に対して複数の包囲網を敷き、その内側で要塞の城壁に平行な壕(平行壕)を掘る。ここを起点として塹壕(交通壕、斜壕とも)を掘りつつ要塞に接近する。塹壕は要塞からの縦射を避けるためにジグザグに掘る事が多かった。ある程度要塞に近づいたら第2、第3の平行壕を掘り、再び斜壕を掘って要塞へとにじり寄る。

野戦における塹壕の利用は南北戦争を嚆矢とする。南北戦争以前の野戦では、一斉射撃の後に歩兵縦隊が白兵戦に持ち込むため銃剣で突撃する戦術が主流であった。この戦術では装備の格差よりも人員の数の格差がより強く戦況に影響した。しかし、後装式ライフル銃の普及によって弾幕射撃の射程と密度が増すと、縦隊による突撃は射撃の的となる一方となり、さらに機関銃の出現によってこの傾向は顕著となった。一台の機関銃とこれを操作する少数の歩兵の前に、歩兵大隊が多大な犠牲を出し足止めを受けるまでになったのである。そこで敵からの射撃を避け、味方の射撃をしやすくするために塹壕が利用されるようになった。こうして戦争は塹壕戦へと様変りする。堅固に守られた塹壕を突破することは容易ではなく、これ以後戦争は長期化するようになった。

普仏戦争は塹壕戦が生起する以前に決着が着いたが、日露戦争の旅順攻囲戦ではロシア軍の機関銃が日本軍に大損害を与え、逆に黒溝台会戦ではロシア軍の攻撃を塹壕に篭った日本軍が撃退した。これらの事が各国の観戦武官に歩兵の横隊突撃に対する機関銃の威力を痛感させる事になり、欧州各国とも機関銃の配備を重視するようになる。続く第一次世界大戦の西部戦線では、壮大な機動戦を企図した初期のシュリーフェン・プランが失敗した事により、終戦までの約4年間、延々と塹壕戦が続いた。

塹壕戦が始まると、塹壕を掘る作業も歩兵の重要な仕事となった。第二次世界大戦の頃には「歩兵の仕事は8割が塹壕掘り」と言われるまでになった。

2009年04月10日

ショーム

ショーム(英:Shawm)はヨーロッバで13世紀後期から17世紀にかけて作られた、ルネッサンス期の木管楽器である。オリエントのズルナが進化したもので、現在のオーボエの祖先である。ショームはドイツ語ではシャルマイ(Schalmei)と呼ばれており、この語は葦や植物の茎を意味するラテン語のcalamusに由来すると言われている。しかし一方では、ヨーロッパのショームは十字軍の時代に近東からヨーロッパにもたらされた類似の楽器が進化したものと思われることから、エジプトの伝統的なオーボエの名であるアラビア語のsalamiyaあるいはsalameyaから来ているのではないかとする説もある。このことは、様々なヨーロッパの国々で伝統楽器として用いられている多くの民族的なショームが、非常に良く似た名で呼ばれていることからも証明される。例えばスペインのドゥルサイナ(w:dulzaina、チリミータchirimitaとも呼ばれる)、カタルーニャのショーム(w:Catalan shawm)(シリミアxirimia、ドルサイナdolçainaまたはグラリャgralla、ティブレtible、テノーラtenora)、ポルトガルのチャラメラ(charamela)、イタリアのチャラメッラ(ciaramella)などである。

ショームは長い直管にベル(朝顔)がついた楽器であった。管体は円錐管で、バスーンのリードを小さくしたようなダブルリードで演奏され、大きな音が出た。中世のショームと非常に良く似た楽器は、現在でもなお多くの国々で、ストリート・ミュージシャンや時には軍楽隊によって、演奏されているのを聴くことが出来る。軍楽隊での利用は、十字軍の兵士たちにとって馴染みの深いものであったろう。彼らはしばしば、ショームとネイカー(w:naker、中東地域の太鼓)によるイスラム教諸国の巨大な楽隊に直面していたからである。それは心理的な兵器として使われていたのであった。これは深い印象を与えたとみられ、ショームは軍事目的のみならずダンスのためにも、ヨーロッパ人たちにすぐに受容された。15世紀における標準的な屋外のダンスバンドは、流行歌の旋律を演奏する1本のスライド・トランペットと、これに即興で対旋律をつける2本のショームとで構成されていた。16世紀の初頭までには、ショームは顕著な進化を遂げた。当初の鋭い音色は、長さがほぼ倍になることによって柔らかなものとなり、倍音を変化させるために付加管が設けられた。とりわけそれなりの人数で合奏した際の大きく堂々とした音色が、都市当局者の要求にとても良く合致したために、ショームは都市の楽隊、すなわちウェイト(wait、英国の都市楽隊)に標準装備される楽器となった。ショームはウェイトと切っても切り離せないものになったために、ウェイト・パイプ(w:wait-pipe)とも呼ばれた。

ラウシュプファイフェ(w:rauschpfeife)は、リードにキャップがかぶせられた楽器で、ショームと近い同族関係にある。これはバグパイプやクルムホルンのように、歌口のキャップの中にダブルリードが納められており、奏者の口がリードに触れないようになっていた。

ショームの大規模な合奏は、実に壮麗な音色を持っていたにもかかわらず、とりわけ行進の際などには、構造的な欠陥を持っていた。ソプラノ・ショームは2フィート程の長さがあり、さらに低音の楽器はその比率で長くなって行き、バスは床にベルの端を置いて演奏しなければならないほどの巨大なものであったからである。とある機智に富んだ無名の作者が、1本の木材に2本の穴を開けて底の部分でこれを繋ぐという方法を発明し、オリジナルの半分の長さで持ち運びが容易な、屈曲式のショームを作り出した。この新しい楽器は英国ではカータル(curtal)あるいはダルシアン(w:dulcian)と呼ばれ、低音楽器として一般的に使われるポピュラーなものとなり、より高音のショームが不適当だとされるような上品な編成においてすら使用されていた。

オーボエはショームを元にして、17世紀の中頃にフランスの音楽家ジャン・オトテール(Jean Hotteterre)とミシェル・ダニカン・フィリドール(Michel Danican Philidor)によって改良が加えられ、より細い内径を持ち楽器の端のリードを奏者が唇でくわえる形で演奏する楽器として誕生した。

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2009年03月26日

猿轡(さるぐつわ)

猿轡(さるぐつわ)とは、声をたてさせないために布などを口に押し込んだり、かませたりするもの。特にアニメやドラマなどの誘拐事件や拉致事件で使われる事が多い。

一般的な猿轡は、口の中に布を詰め込んでその上からタオル等で覆うもの、スカーフや手拭などの布を1回結んで瘤をつくり、その瘤を口に噛ませて後頭部で縛るものなどがある。また市販品では、ゴルフボール大の玉に革紐がついていて、玉を口に押し込んで紐で固定するもの、厚手の革で口全体を覆うもの、エボナイトの棒を口に噛ませ紐で固定するものなどがある。最近ではガムテープ等で口の上から貼り付けることもある。ガムテープ等を口の上に貼り付ける場合、口の中に布などの詰め物を入れないと、言語を発生できないようにする効果が薄いようである。

市販の猿轡は、猿轡本来の目的よりもむしろ視覚的な効果を期待する場合に用いることが多い。声を立てさせないためには、ガムテープ等で口の周りをぐるぐる巻きにするのが静粛性および耐久性の点で最も効果的である。布を使う場合には布切れを口一杯に詰め込んで、それを吐き出せないように上から別の布で縛るのが効果的である。ただし、場合によっては窒息などの危険があるので注意が必要であり、また、顔をこすりつけることにより猿轡が外れる場合があるという欠点もある。単に布で口を覆うだけではほとんど声を封じることはできない。

最近では、若い女性の間でファッションの一部としてボンデージルックを身につけたり、アクセサリーとして玉猿轡(ボールギャグ)をチョーカーのように首につけたりされている。玉猿轡(ボールギャグ)は、いびき防止のための道具として用いられることもある。

フィクションの世界では、猿轡は単に声を防ぐだけのための目的ではなく、舌を噛んで自害するのを防ぐ(特に時代劇)ために用いる場合がある。

猿轡をかませる際には意識があることが重要である。気絶している場合には窒息する危険性があり、また猿轡をかませる必然性もないことから実用的ではない。特にクロロホルム等で意識を失った場合は嘔吐することがあり、窒息の原因になるので、必ず意識が戻った後に猿轡を噛ませることが望ましい。特に誘拐事件や拉致事件や監禁で犯人が使う事が多い。


名称・語法 [編集]
轡は馬具の一つで馬の口に噛ませて手綱をつけるものであるが、ちょうど猿に轡を噛ませたような状態であるところからこのような呼び名となった。また古来、雨戸や自在鍵などを固定する用具を猿といったことからその名前がついたとの説もある。

用法としては「猿轡をかませる」という使い方が正しい。「かませる」には、単に口に入れるという意味だけではなく、ぴったりと嵌めるという意味がある。但し、猿轡という言葉を使う人の認識度を表すニュアンスとして、「さるぐつわ」や「サルグツワ」、あるいは「猿轡を嵌められた」「猿轡をする」などと表現することもある。

キャン ふかがわ プルート てっさく はだいろ バーモ ナローボ シーケン ぱぱいあ リナリア デッド トッカータ あまぎ セレクション チャート マグマ クサノオ レンチ ブッキ カネノナル フェース プロップ くけい テク ぶうぶう ゴロ シーソー おはじき ナップ タイダイ ワンセ タイピン マスコット ロード ワイマ ニチニ コカトリ ダナキ フリーラ ホンコン ミング ノーマ タミフ リトル バッテ スクエア カアト イソ次世 ミー スター

2009年03月11日

州立恐竜公園

州立恐竜公園(ダイナソール州立公園)は、カナダ・アルバータ州カルガリーから車で2時間ほど行った所(あるいはブルックス市の北東48km)にある州立公園で、ユネスコの世界遺産に登録されている。

公園は際立って荒涼とした地形のレッド・ディア川(Red Deer River)渓谷に位置するが、何よりも世界最大級の恐竜化石層があることで知られている。39もの恐竜の種がここで発見され、500以上の標本が世界中の博物館に移送・展示されている。世界遺産登録は、こうした恐竜化石に負うところが大きい。
1955年6月27日に、アルバータ州50周年記念事業の一環として、化石の出土する地層を保護するために、州立公園が設定された。最初の管理人に任命されたのは、農家でアマチュア化石収集家でもあったロイ・ファウラー(Roy Fowler)であった。

1985年までは、公園で発掘された化石は、科学的な分析や展示のために、ロイヤルオンタリオ博物館(トロント)、カナダ自然博物館(Canadian Museum of Nature, オタワ)、アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)などに送られなければならなかった。この状況は、100 km 上流にあるドラムヘラー近郊のミッドランド州立公園(Midland Provincial Park)内に、ロイヤル・ティレル古生物学博物館が開館したことで変化した。

自然
公園には非常に複雑な生態系が存在しており、3つに大別できる。大草原(prairie grasslands)、バッドランド(badlands)、川辺のハコヤナギ地帯(riverside cottonwoods)である。それらの生態系は草原に囲まれているが、それ自体が独特なものである。

夕暮れ時にはコヨーテの鳴き声がどこでも聞こえるが、ヨタカについても同様である。ワタオウサギ、ミュールジカ、プロングホーンなどは公園の至る所で目にすることが出来る。ガラガラヘビ、セイブガラガラヘビ, ブルスネーク, ワキアカガーターヘビなどについても同様である。春から夏にかけて確認できる鳥類は165種に及び、その中にダイシャクシギ類 やカナダガンなども含まれている。6月後半にはサボテンの北限の種であるオプンティアやペディオカクトゥスなどが満開になる所にもお目にかかれる。
スノー モヘア サイトシス ネグロ ノンフ バルカ バチス ほうじゅん フラー レンズフ ラリア だるま ネコヤ ストリ ステッキ クスノキ サーベル シシウド スタジ レトリック ハイカラ マジッ ローレル シンデレ 交響曲 ブランク ウバイ リアル ブレス ゲイン ガイドヨニ ギアナユ パール ずきん テロップ パイレ ロコ リスボ ジャンク 冬中夏草 女神 ジャンプ亭 ケープ ノーダ オーバー フィアン イカの石 コロラド おみたま おもちゃか

地形
州立恐竜博物館の堆積物のスパンは280万年の3つの地層(フォーメーション)にわたっている。その地層とは、層の基盤となる陸棲のオールドマン層(Oldman Formation)、その上に重なる恐竜公園層(Dinosaur Park Formation)、最上層の海棲のベアポー層(Bearpaw Formation)である。

構造物のうち、関節が繋がった状態で出土する化石が多く含まれるのは恐竜公園層で、カンパニアン(Campanian)後期、すなわちおよそ7500万年前のものであり、そのスパンは100万年ほどである。

古生物学
州立恐竜公園は、淡水に棲息していた脊椎動物の際立って多様なグループを保存している。魚類では、サメ、エイ、ヘラチョウザメ、アミア、ガー、硬骨の魚などが含まれている。両生類には、カエル、サンショウウオ、絶滅したalbanerpetontidsなどが含まれ、爬虫類には、トカゲ、多様なカメ、ワニ、魚を食べていたチャンプソサウルスなどが含まれる。哺乳類では、トガリネズミ、有袋動物、リスのような齧歯目などが代表的である。とはいえ、それらは骨格よりもむしろ歯の化石のみが見つかるのが普通である。

公園内で巨大植物の化石が見つかることは稀である。しかし、採集された花粉や胞子から、メタセコイアに沿ってイチジク、モクレン、ラクウショウなどが茂った森林が存在していたと推測されている。

公園で発見された恐竜化石は実に多彩である。列挙すると以下の通りである。

角竜類
レプトケラトプスの一種.
ケントロサウルス・アペルトゥス
ステュラコサウルス・アルベルテンシス
パキリノサウルス
カスモサウルス・ベリ
ハドロサウルス科
コリトサウルス・カスアリス
グリポサウルス ノタビリス, G.インクルヴィバヌス
ランベオサウルス・ランベイ
プロサウロロフス
パラサウロロフス
曲竜類
パノプロサウルス
エドモントニア
エウオプロケファルス
ヒプシロフォドン類
オロドロメウス
堅頭竜類
ステゴケラス
ティラノサウルス科
ダスプレトサウルスの一種
ゴルゴサウルス・リブラトゥス
オルニトミムス科
オルニトミムス
ストルティオミムス
キロステノス ペルグラシリス、C.エレガンス、C.コルリンシイ
新種のオルニトミムス類
ドロマエオサウルス科
ドロマエオサウルス
サウロルニトレステス
この科に属すると思われる新種2種
トロオドン科
トロオドン
新種1種
未分類
Ricardoestesia gilmorei
ヘスペロルニス類の鳥類や、 ケツァルコアトルスと関連する巨大翼竜なども発見されている。

2009年02月22日

イヌイット語(またはエスキモー語)

イヌイット語(またはエスキモー語)は北アメリカの極北部、グリーンランドなどに住むイヌイット(エスキモー)の固有言語である。またロシア極東部チュコト半島の一部でも話されているが消滅の危機にある。
インパ バイオ せみよん センニ おいず ガポット ハムスター メシア キオス ラターシュ カム ヤール サニレレ ハブポート ダッグ ビリボ ヒロイン 草もち モーニング タイム ダイス ジントロン ラブラト パイナ 一番星 ローブプ ミング ブラッセリー ネットカー れっど サインペン トラウマ ルンバ ケナフ スローイン マネジ パプリカ タマスダレ クンシ ラッパー ソウル シャー グズベ プレゼン 元慶 インクリ オーバ バイア キャンデ レワィア

かつては他称(蔑称)のエスキモーが使われたが、現在特にカナダではこの呼び方は嫌われ、イヌイットというのが普通になっている。イヌイット語はエスキモー・アレウト語族に属し、アラスカ西部・チュコト半島のユピック語に近い言語である。イヌイット語とエスキモー語は同じ意味に用いられることが多いが、エスキモー語という名でユピック語も含めて呼ぶこともある。イヌイット語はよく似たいくつかの方言からなる。離れた地方では互いに理解できないこともあるため、複数の言語の集まりと見てエスキモー諸語ということもあるが、違いは連続的で明確に分類できるものではない。また国および地方によって様々な名がつけられている。例えばカナダではイヌクティトゥット語、グリーンランドではグリーンランド語の名で公用語となっている。

現状
話者はグリーンランドで5万人、カナダで3万人、アラスカで3千人、ロシアで数百人、ほかにデンマーク本国など、全世界で9万人ほどと見積もられている。アラスカではイヌイットでもイヌイット語を話さなくなった人が多く、ロシアではさらに減少しつつあり消滅が危惧される。上記のようにグリーンランドとカナダでは一部方言が公用語とされ、教育も行われている。

表記
本来は文字はなく、一般にはラテン文字で表記される。カナダでは独自の音節文字が使われている。ロシアではキリル文字で表記することもある。

系統
イヌイット語はエスキモー・アレウト語族に属し、ユピック語と近く、またアレウト語ともやや遠い関係にある。この語族はアメリカ先住民の言語とは全く異なり、シベリア方面の言語と関係があるとの説もあるが証明されたものではない。

歴史
イヌイットはベーリング海峡周辺(アラスカ西部・チュコト半島)を原住地として東へ移動したと考えられており、イヌイット語はこの方面で話されるユピック語から分化したとの考えもある。グリーンランドではヴァイキングが入植した13世紀にはすでにイヌイット語が話されていた。

] 性質
母音は基本的には[a]、[i]、[u]の3つ(場合により[e]、[o]の発音になることもある)で、長短の区別がある。音節はCVC型で、長母音は2モーラとして扱われる。

文法的には典型的な複統合語(いわゆる抱合語の一種*)として知られる。これは一つの文に相当する意味が様々な接辞として動詞の中に含まれて表現される性質である。また能格言語である。これらはエスキモー・アレウト語族の基本的性格と考えられるが、アレウト語では複統合性はかなり退化している。

狭義の抱合語は、多数の接辞により意味論的な派生を行う言語をいうが、イヌイット語はこれには当てはまらず、あくまで複統合語である。

2009年02月06日

巨石記念物

巨石記念物(きょせききねんぶつ、megalithic monument(s))は、自然石で、あるいは面取り・化粧仕上げなどの一部の加工のみが加えられた石で、築かれた構築物。単一のものや後述するような列石など集合体の形態をとるもの、ストーンヘンジのような建造物に近い形態のものを指す。世界中に分布し、伝播説まである。

「巨石記念物」という名称は、有史以来の全ての建造物に適用されてよいはずの名称であるが、特に新石器時代から初期金属器時代までの、巨石使用を特徴とする構築物について、「巨石使用」を強調して、このように呼称する。そのため、これらの正確な範囲をどこまでとするかは様々である。通常は、ピラミッドやジッグラトのような石組みの複雑な構造を持っている建造物は除外され、やや原始的な文化という意味合いを持たせて、古代の構造物が単に巨石で築かれていることを強調して使用される用語である。

どのような意味を持っていたか

農耕儀礼、太陽崇拝、天文台説などがある。

主な種類
G・ダニエル (Glyn Daniel) などの分類に基づく。多くの形態が複合されていることも多い。ヨーロッパでは、大西洋岸・ケルト地域に多く分布し、ケルト人の遺跡と誤解されることがあるが、ケルト以前の先住民による遺物であり、ケルト人との関係は無い。

立石、メンヒル(単一のもの)
立石群
環状列石
パッチ ジベタリ ダゴン ライト スタウト 天福 クロム サマリア リポータ 東海道 バック ストイシ メディシ バレンシ みずほ セラピー シビリテ チレン ノニオン いかほ フォルム なんごう ガロール スパン あの海 マフラ めむろ ナゲット マスカ ボール パート スノー ピーケ パーセル ドオド レインボー マガジン ギャグ チェアマン 海岸通り 千年の時 シャド 白うり ティクス バトラ コボル ユーカラ キンバリー デラウ しじゅう

単一の輪を持つもの
ストーン・サークル stone cyrcle、ストーン・リング stone ring、クロムレック cromlech (何重もの構造を持ったり、堤・溝のあるもの)
列石、アリニュマン alignement
巨石墓
支石墓、ドルメン dolmen、神籠石
石室墓
通廊墓、ギャラリー墓 gallery grave
羨道墳(パッセージ・グレーヴ,passage)

2009年01月22日

旧日本軍の軍人の性行為の相手になった婦女の総称

慰安婦(いあんふ)とは日中戦争や太平洋戦争当時に、 慰安所と呼ばれた施設で旧日本軍の軍人の性行為の相手になった婦女の総称である。戦後、人により従軍慰安婦とも呼ばれる。制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり、旧日本軍のケースでは慰安婦を強制連行したのか否か、強制的なものであったか等の点に疑問が呈されており、日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐって、今日まで、政治的・社会的に大きな議論を呼ぶ問題となっている。

当時の呼称
日中戦争や太平洋戦争当時、主に戦地に設置された「慰安所」と呼ばれた施設において、旧日本軍の軍人に対して数多くの婦女が売春に従事し、または従事させられていた。当時、これらの婦女を総称して、「慰安婦」という呼称が用いられていた。当時の文献によると、「慰安婦」という呼称のほかに「(料理店の店員を名目として)酌婦」「(慰安所)従業婦」「(慰安所)稼業婦」「醜業婦(売春婦)」などという呼称[1]が存在していた。また現地の軍人は、慰安婦のことを(売春婦の中国語の蔑称で)「ピー」、慰安所のことを「ピー屋」と呼んでいたとも言われている。[2][3]慰安所に限らないが「娘子軍(=からゆき=海外出稼ぎ娼婦)」という言い方も多い。また、海軍では「特要員」の名の下に戦地に送られたとも言われている。

慰安婦」か「従軍慰安婦」か
1980年代以降、旧日本軍が戦地の女性を慰安婦にするため、強制連行したという主張がなされ、社会問題となった当初は、千田夏光が自著の題名を自身の造語である『従軍慰安婦』(双葉社 1973年)としたことの影響もあり、「従軍慰安婦」と呼ばれることが多かった。しかし、“従軍”という言葉を巡り、「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また反対の立場においても、女性団体などから、「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされた[6]。そのため近年、マスメディアの報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになった。ただし、現在でも一部では「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例もある。

海外における呼称
韓国では、慰安婦問題が起こった当初から、「女子挺身隊」との混同から呼ばれてきた「挺身隊(???)」という呼称が一般に定着している。[7][[8],第12章 「七つの争点」]
慰安婦問題の代表的団体である「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「日本軍慰安婦」と呼んでいる。
英語圏では、「慰安婦」を直訳した”Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる”Sex Slave”[11]の用語が用いられることもある。

その他の呼称
慰安婦制度に批判的な者の中には、「慰安婦」という言葉は実態を反映していないとして、「日本軍性奴隷」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している者もいる。

総数
政府調査(1991年?1993年)では、慰安婦の総数を示した資料も、それを推認するに足りる資料もなかったので、総数を確定することは困難であるが、長期かつ広汎に慰安所が設置された数多くの慰安婦が存在したものと認められるとしている[[13], 「いわゆる従軍慰安婦問題について」内閣官房内閣外政審議室(平成5年8月4日)第二(4)]。 もっとも、国内海外を問わず、研究者によってその総数を推定する作業がなされており、様々な説が存する。主要なものとしては、中央大学教授吉見義明は、総数を8万人から20万人と推定したのに対し、日本大学教授秦郁彦は総数2万人程度と推定している。詳細は、以下の経緯を参照。

諸説

総数についての諸説
1969年、韓国の日刊紙が挺身隊動員を受けた女性が20万人、その内、朝鮮人が5?7万と報じる。

1973年1974年、千田夏光。慰安婦に関する著作の中で、慰安婦35人に対し朝鮮人は1人の比率で計算し、慰安婦8.4万人、朝鮮人が6.5万人と推計[8]。 他に韓国の資料が「挺身隊20万の内、5?7万が慰安婦とされている」ことに言及。(慰安婦と挺身隊との混同の始まりとされる。)
1976年、在日朝鮮人作家、金一勉 (キム・イルミョン)。業者が29:1が好ましい数字だと語っていたことから慰安婦17?20万人。内、8、9割が朝鮮人。[8] 
1984年、元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)。朝鮮人挺身隊が20万人のうち、慰安婦が5?7万人 (1969年の報道記録からと見られるという)。(業者が貧しい娼婦に声をかけたり、顔役を通じてだまして慰安婦にしたという)。
1993年、「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星 (チョン・ジンソン)ソウル大学教授。「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」と書いており(独自根拠不明)[20]、詐欺を強制に含めている。 
1993年、日本大学教授秦郁彦。50:1の比率から、6万、交代して9万。(のちに変更)
1995年?1990年代後半、中央大学教授吉見義明。上海で1939年、性病防止のために「陸軍は上から兵100人に1人の「慰安婦」と言われた」ことと、それに現地の軍が独自に(犯罪を含めて)集めた数を加えた数字の範囲で、29:1の比率(交代率2)から8?20万人と推定

 (これらの説では当時の下級兵士の回想から、朝鮮人女性が多かったと見ている)

1999年、日本大学教授秦郁彦。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、コンドーム使用量、国内公娼の客と娼妓の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定している。[8](泰郁彦の計算は、狭義の慰安婦であり、民間の娼婦が別に数千人程度いたと想像している。また、在中国領事館のこの業種全体の統計から、朝鮮人は意外と少ないと見、また南方現地人、中国系の多さを指摘している。)
1996年、上海師範大学教授蘇智良(Su Zhiliang)。中国・天津の慰安所研究により、慰安婦の総計を40万人として朝鮮人20万人を引いて中国人と日本人が10万づつとしていた。(のち変更)
1998年、国連に提出の「マクドゥーガル報告書」の付属文書。20万人以上。朝鮮人14万人が死亡。→根拠
1999年?2003年、再度、上海師範大学教授蘇智良。総数36万?41万人、朝鮮人14万人[22]、強制連行されて慰安婦にされた中国人が20万人に及ぶとしている。[23] 
2004年、アジア女性基金では、100:1が妥当な数字とし、マクドゥーガル文書における朝鮮人慰安婦の人数・死亡者数に根拠はないとしている。
2005年4月、北朝鮮の国連代表部金永好書記官がジュネーブの国連人権委員会で、慰安婦の数は20万人で、強制連行された人数は840万人だと主張。この頃の韓国の高等学校の教科書は慰安婦の数を「数十万人」と、「強制的に連れて行かれた」人々を「650万人」と教えている[24]。
慰安婦の総数を推定する上で、当時の朝鮮半島の人口、日本軍の総数等が参照される場合があるので、以下に参考として記述する。
あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ

全体: 陸軍は慰安施設を、1942年9月頃に400箇所(満州を除く)作ったとされる[25][26]。
当時の朝鮮半島の総人口は『朝鮮総督府統計年報 明治42-昭和15年度』によれば約2500万人前後であった。
日本の女子挺身隊の結成率は1944年5月では7%。:内地での公娼は、第二次上海事変以前の1937年の21万をピークに減少し、太平洋戦争初期の1942年には14.5万人になっている。中国(本土)に日本人娼婦約1.2万人の増加(1935年?1940年)(,p30,p48,p399)。 
その他 [28]([8],p41)。
韓国政府に元慰安婦として登録されている女性は合計215人で、内88人が亡くなっている。(2005年1月現在

2009年01月15日

迷信

モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

迷信(めいしん)とは、広く流布されているが科学的な根拠の全くない知識のこと。もしくは、それらを誤信することである。その中でも比較的歴史があるものがこう呼ばれる傾向がある。

古来、科学的思考が確立していなかった頃から様々な迷信が存在し、その一部は今日に至るまで受け継がれている。現代においても新たな迷信は誕生しており、科学的に根拠のあるような体裁を装っているもの(疑似科学)は、ときに有害である。例えば血液型による性格分類は、バーナム効果によって信じる者も多いが、面接において血液型を見るだけで志望者を落としてしまうなど、差別につながることがある。

現代の民俗学者は「迷信」という用語をあまり使わない。今日的な"善悪"の価値判断は、古来からの民間知識同士の相互関係や、民間知識の社会や集団での役割などを分析するに際しては、不適切だからである。迷信は、現代社会の科学知識を基準とした分類(レッテル)である。

時代による価値観の変化
日本では昔からトンネル工事には女性を参加させない方針(女人禁制)が貫かれており、それは「山の神を怒らせてしまう」という表現とともに継承されていた。労働基準法第64条の2項は原則として女性の坑内労働を禁止している。現代になって、男女平等の意識の浸透に伴い、そのような表現も含めて「女性差別だ」という声が上がり、「山の神を怒らせる」は迷信だと非難され、2005年にトンネル工事の女人禁制は規制の見直しが検討された。これに関しては、女性が監督業務などに従事できるようにするべきだする意見と、労働強化(労働条件の不利益変更)につながるという意見がある。

迷信の類義語
「ジンクス」- 英語圏でのジンクス(jinx)という言葉は、悪運や不運、またはそれらに見舞われた状態など、縁起の悪い事柄を限定して指す。
「都市伝説」- 近現代以降になって広まった迷信のこと。

迷信の例

西欧でよく知られる迷信
Friday the 13th 13日の金曜日に不吉なことが起きる。
breaking a mirror 鏡を割ると7年間悪いことが起きる。
black cat 黒猫が前を横切ると不吉なことが起きる。
国によっては幸運の前兆とも。
horseshoe 家の戸口に馬蹄をつけると魔女が入ってこなくなり、家内安全である。
rabbit's foot ウサギの後ろ足が魔よけのお守りになる。キーホルダーなどにして持ち歩く人もいる。
breaking a wishbone 鳥の叉骨を折る。鳥の二股の骨を二人で引っ張って折った時に、長いほうを持っていた人の願いがかなう。
walking under a ladder 梯子の下を歩く。梯子の下を通ると不吉なことがおきる。
家の中でかさを広げるのは不吉。
happy bridegroom 幸福な花婿(むこ)。新居に入る時に花嫁を抱いて敷居をまたぐと、花婿が幸せになる。

その他のケース
夜に口笛を吹くと、蛇(または妖怪、お化け)が出る(かつて日本で人身売買が行われていた時代、摘発されないために多くが人目のつかない夜に売買取引を行っていた。その際、売人を呼ぶ合図が口笛だったため、「蛇(妖怪、お化け)が出るから吹かないように」という子供への警告が形を変え、現代まで残っている一例とする説がある)。
金髪の人は馬鹿(欧米人の迷信。アメリカン・ジョークでは「金髪女性は馬鹿(というより天然ボケ)」だという暗黙の了解があり、「ブロンド・ジョーク」というジャンルがある。この迷信を基にしたのが映画『キューティ・ブロンド』シリーズである)。
風邪は人にうつすと治る(風邪などの病気には潜伏期間があり、うつされた人が潜伏期間を経て発病した頃にうつした人の風邪が治ることがあることから、このような迷信が生じたらしい)。
しゃっくりが100回出ると死ぬ。
ワカメやコンブを食べると、頭髪が増える。
夜に爪を切ると親の死に目に会えない(夜に爪を切ると「夜爪(世詰め)」といって早死にする)。
旋毛を押すと下痢になる(『トリビアの泉』でガセであることが発覚した)。
霊柩車もしくは葬式を目撃したら親指(或いは他の指)を隠さないと親族が亡くなる
靴下を履いて寝ると親の死に目に会えない
丙午の年に生まれた女性は、鬼となって家族(親・兄弟・夫・子供)を苦しめる(直近の丙午である1966年には出生数が前年に比べ約25%減少した)。
馬鹿は風邪引かない
夏風邪は馬鹿が引く
酢を飲めば体が柔らかくなる
牛乳を飲むと胸が膨らむ
牛乳を飲むと背が伸びる(カルシウム摂取で骨は強くなるが身長伸展には繋がらない)。
3人で写真に写った場合、真ん中にいた人が一番早く死ぬ(カメラは真ん中にピントが合うことから、魂が一番吸い取られると考えられたため)。